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鋸南町保田の歴史と文化社company


鋸南町の鋸山の歴史と文化ににリンクします

日本寺は奈良時代の神亀2年(725)に、聖武天皇の命で 僧行基によって創建されたと
伝わる関東最古の勅願所です。もともと日本寺本堂は、鋸山山麓の元名村字寺畑にあり、
観音堂が岩殿堂に、薬師堂が中腹の現在の観音堂付近にありました。
かつては修験寺でしたが、江戸時代前期の正保4年(1647)頃、曹洞宗に改宗。
安政3年(1774)に日本寺中興の祖と言われる高雅愚伝弾師が、現在の
山腹に移転させました。千五百羅漢はその時発願され造られたものです。
山号は乾坤山日本寺。おおくの堂、坊を完備し、貴重な仏像もあり、
安房の名所として多くの参拝者が訪れた日本寺でしたが、
昭和14年、火災にあい、多くを焼失してしまいました。
現在、日本寺復興計画のもと、本堂など再建しつつあります。

梵鐘前のオオソテツは
安房に逃れ鋸南町竜島に
上陸した頼朝が、その後、
日本寺に戦勝祈願に訪れた際、
手植えしたソテツと伝わります

ソテツの植え込みの中にある句碑は、江戸時代の俳人、
長谷川馬光の「引きおろす鋸山の霞かな」
の句が刻まれています。馬光は葛飾派
という流派の俳諧の師匠で、彼の50回忌の
寛政2年(1790)、同じ葛飾派の門人の元名村
名主岩崎善右衛門(俳号児石)らによって
建てられたものです。葛飾派は主に房総方面の
裕福な名主や文化人に浸透し流行した俳諧流派です。
小林一茶も葛飾派の俳人で、この時の碑の除幕式に
参列しています。
この時、一茶28歳。安房に足を踏み入れた最初でした。
それ以後、一茶は房総へたびたび訪れるようになり、
元名村の岩崎家や保田の大行寺、
勝山村の醍醐新兵衛家や
淨蓮寺に宿泊しています。

眼前に海が広がる眺望抜群の地。
建物は天明8年(1788)江戸蔵前
の札差(武士の俸給米を換金する商人)
大口屋平兵衛の寄進です。
庭には亀石や石碑があります

この鐘はかなりの数奇な運命をたどっています。
作られたのは鎌倉時代の元享元年(1326)
下野国(現在の栃木県)佐野の天宝弾寺の鐘としてでした。
その後相模の国(現在の神奈川県)鎌倉の淨妙弾寺の鐘
となったことが銘によって知られ、そしていつからか日本寺の
鐘となったのです。つまり下野、相模、安房と三転しています。
理由はわかりませんが、戦乱で軍の陣中鐘として使われ、
あちこち持ち運ばれた可能性もあります。
日本寺の言い伝えでは、この鐘は鋸山のしたの海から
上がったと伝えられ、そのためそこを妙金(明鐘岬)と
呼ぶようになったらしいです。
戦国時代、安房の里見氏と相模の北条氏は戦いを繰り返して
いましたから、その略奪品かもしれません
  作者は佐野の名工、卜部助光。国指定重要文化財です 

天保元年(1830}新当齋下総佐原の人。
姓名は千葉右門。剣術、宝蔵院槍術の達人。安房に来遊したとき、
その技を披露した記念の碑で、武田石翁が刻んでいます。

昭和44年6月、4年の復興工事によって一枚岩を彫刻
して復元された大仏で、高さは31.05b。大きさ日本一の磨崖仏の大仏様です。(ちなみに奈良の大仏は18.18b。鎌倉の大仏は13.35bです)もともと原型は
同じ場所にありました。千五百羅漢を彫刻した大野英令が、天明3年(1783)、門弟たちと3年をかけて彫刻したもので、約27bあったといいます。千五百羅漢を作る
際に寄付を募ったところ三百万人講と称し、思いのほか
寄付が集まったため、大仏建立となりました。当時は
白毫(仏の額にある光を放つ巻き毛)い金を使いましたが、倹約令(贅沢禁止)で頭頂部から取り除かれ、また
江戸時代末期、自然の風化により崩落してしまい、
その後も荒廃にまかせていました。
  この大仏様の正式な名は「薬師瑠璃光如来」
と言います。人々を病から救う仏様で、左手に持って
いるのは、薬の壺です。

天保14年(1843)
鱸松塘は三芳の生まれで、安房の名詩人。松塘21歳、鋸山をよんだ詩があります。

梁川星厳(1787〜1858)は、幕末を代表する勤王詩人。美濃国生まれで、全国を周遊、江戸神田に玉池吟社
をおこし、漢詩を教え、また吉田松陰、梅田雲浜、頼三樹三郎ら勤王革命家たちとも交流し
経済的援助ましました。安政の大獄で彼らは捕らえられますが、
星厳は幸かか不幸かその前年に死去しています。妻紅蘭も詩人で、おしどり夫婦として知られた二人は、
ともに諸国を回り、房州へも訪れました。これは、鋸山に遊ぶと題された星厳の詩碑、
天保12年(1841)建立です。

十二神将とは、薬師如来を守る12人の武将です。
それぞれ十二支に配され、
頭に十二支の動物をかたどった印がついていることが多いのです。
この像のひたいには申(猿)の顔があり、安底羅大将です。
おそらく12体あったはずですが、完全な形のものはこれ1体。
かつて薬師本殿に破損した神将像がいくつか残っていました。
  作者は元名の武田石翁(1779〜1858)三芳村本織に生まれた
石翁は、元名の石工、小滝勘蔵に弟子入りし、見込まれて婿養子に
なりました。芸術てきな石彫りを得意とし、安房各地に作品を残し、
安房の三名工(他は後藤義光、武志伊波八)の一人と称されました。




沿革

20**年*月
○○○○○○○



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